【サッカー】サッカーと人間的成長について
日本のサッカーでは、(サッカーだけではないですけど)よく、育成年代において人間的成長という言葉を耳にします。
サッカーだけじゃなくて、サッカーを通して人間的に成長をはかることで、将来活躍できる人材を育てるという意味だと思います。
大学サッカーでは、特に人間的成長を掲げて、サッカー以外の面での強化を図っているチームが多くあります。
私は、この人間的成長をサッカーの育成と結びつけることに、非常に違和感を覚えます。
まず、そもそもの話として、人間的成長という言葉の曖昧さに問題があると思います。
人間的成長ってなんでしょうか?
時間にしっかりした人を育てることでしょうか?
エゴを捨て、チームのために犠牲になれることでしょうか?
主体的な行動ができる人になることでしょうか?
審判に文句を言わないようにすることでしょうか?
例えば、このようにも思えます。審判に文句を言うぐらい、熱い気持ちを持って試合に望んでいる。チームのことを考える以上に自分の成長にストイックである。ルーズで楽な関係を築ける人。このように、短所って長所であって、長所は短所であると思うんですね。
そういう意味で、誰が理想的な人間的成長の形を決めるのでしょうか。そもそもそんなもの存在しないのではないでしょうか?
よくわからないところに向かって人間的成長を求めるというのは、正しいことでしょうか?
そもそも教える側の指導者が教わる選手より人間的に優れているのでしょうか?
成長を教えられるほど成長を知っているのでしょうか?
そのような意味で、人間的成長をサッカーに求めるのは、疑問があります。
ここに、日本サッカーの感情論や、組織論という影が隠れているのではないかと思うのです。
そもそもサッカーは試合で相手より多く点を取ることで勝敗を競うゲームです。
人間性を競うゲームでは、ありません。
そこになぜ、人間的成長という言葉が組み込まれるのでしょうか?
サッカーは人間性を鍛えるためにあるのではありません。サッカーが好きで、楽しみたいから、試合に勝ちたいからサッカーをするのです。そこを第一前提にするから、試合に勝つために一生懸命に考え、努力するのではないでしょうか?なのに、人間的成長を目的としてしまうのは、おかしな話ではないですか?
スワレスは、試合中相手を噛みます。ネイマールは、ノーファールでクルクル転がります。
でも彼らは試合に出ています。活躍して点を取るからです。サッカーの至上命題である、相手より点を多くとって試合に勝つという点において貢献しているからです。
日本サッカーがストイックにならないといけない点はここだと思うのです。
多少人間的に悪くても、活躍できれば、試合に出れる。これって今の社会そのままじゃないですか?
なのに、人間性がよければ、チームに貢献しているというような、謎の理論のせいで、みんな努力すれば、いい人ならば、頑張れば良いと考えてしまうのです。
長くなりましたが、指導者たちがこの人間的成長とサッカーの結びつきにおいての考え方を変えなければ日本サッカーの真の成長はないのではないかと思います。