ろぱくのブログ

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居場所をくださいという番組と自殺実況をした少女について思うこと

こんばんは。sannga14です。

今回は、本日のテレビで見た、居場所をくださいという番組の感想とともに、ニュースでも報じられている駅で飛び降り自殺を、SNSで実況した女子高生について思うことを述べていきたいと思います。

 

居場所をください

テレビをつけたらたまたま、やっていた番組、居場所をください。

この番組はざっくりいうと、家庭問題や、いじめ、虐待などの経験を持つ子供たちが、生きづらさを感じつつも生きていく様子を写すドキュメンタリー番組という感じです。

僕が見た時は、いじめによって不登校になってしまった女子中学生のドキュメンタリーがやっていました。

その子は、いわゆる、問題を抱えた子供たちが一緒に暮らす施設みたいなところで共同生活を送っているのですが、ある日から学校に通えるようになったんですね。

それでもいじめのようなことがまた起きて、学校から逃げ出して帰るみたいな状態で、そんな自分に自己嫌悪してるんですね。自分は嫌いだし、明るい性格も嫌いだしっていう感じで。ある日施設の高校3年生の男の子に学校から途中で帰ってしまったことを叱られて、実家に何も言わずに帰ったり、戻ってきたと思えば部屋に引きこもったりという状態になってしまったんです。ある夜には、遅い時間に施設を抜け出したりして、施設の人になだめられて、1時間、説得して何とか戻るような感じでとても不安定なわけですよ。でも、帰ってきたら、高校生から言い出したことをきっかけにすぐに仲直りしたりします。

こんな感じの流れなんですが、僕はとても女の子の気持ちが分かるんですよね。

でも、ツイッターとかで検索すると、

「この子ただのかまってちゃんやん」とか、

「この子みてるとイライラする」とか

「優しい大人が味方でいてくれるのは今だけで、こんな身勝手なことしてたら、周りから誰もいなくなっちゃうよ」とか

意外と批判的な声があることに驚きました。それでも僕は思うんです。それは誰よりも彼女自身が一番理解していると。それでもそうしてしまうのだろうと。自分の意思とは違うことをしてしまっていることを自分でも理解しているけど、そうなってしまうもどかしさを自分で感じて自己嫌悪を起こしているんだなって感じました。

確かに、ただの甘えとか、自分で変えようと思ったら変化を起こせる場合もあります。だからそういう時には怒ってあげることも、必要な時もあると思います。

ただ、その時は違ったんじゃないかなと感じます。そういう時は、ただそばにいてあげること、存在を肯定してあげること、それでいいんだよと言ってあげることが一番じゃないかなって思います。

自分で、自分をコントロール不可能な子に頑張れっていうのは酷でつらいと思います。

両足骨折したのに、走れって言われても困るでしょ?そんな感覚だと思います。

でもこれも、そうなった人にしかわからないのかなとも思いました。

番組はそのあと、引き出し屋が出てきたので、変えました。あれはもう論外だと思いますね。

 

自殺実況した少女について

こちらは、ニュースにもなっていますがSNSに自殺実況をして、亡くなった女子高生の話です。学校でのいじめや、父親による性的虐待などが原因と言われています。まず第一に思うことは、家庭、学校という閉鎖的空間では非常識が常識となりうる実態ですよね。学校でも教師でさえいじめをするのですから、それが普通っていう状況になってしまってるんですね。家庭でも、ありませんか?自分の家族では普通だと思っていたけど、周りと比べたら全く理解されないこと。それって、閉鎖的空間が生み出しているんです。性的虐待も普通に日常的にしてたら社会的には、犯罪行為でも、家庭では日常行為になってしまうんですよ。世の中にはそういうこといっぱいあると思いますよ?それが出てくるのは、事件になってからしかないんです。僕は、もうここまで来たら閉鎖的空間を監視するシステムでも作らないとだめなのかなって思います。

次に思ったことは、さっきの話でもそうなんですが、存在を肯定してあげる人が1人でもいなかったのかなということです。どんなにつらいことがあっても、誰かと一緒という意識なら乗り越えられることもあると思うんですよ。誰か一人でも連れ出してくれる人がいたなら、生きる希望を与える言葉があれば、彼女は死なずに済んだのではと思います。

最後に思ったことは、死に方についてです。きっと、存在を証明したかったのだろうなって僕は思ってます。しかし、SNSでは批判的な声が多いですね。死ぬのだったら迷惑かけずに死ね的な?僕は、この意見は本当にひどいと思います。電車の遅延のせいで人生が変わるかもしれない?もしそうなって、遅延のせいで人生が変わったとしても、それで、迷惑かけずに死ねって言葉をかけるなら、僕はいっそう、人生狂った方がましだと思いますね。とてもじゃないけど、そんな身勝手な発言はできないです。

たぶん他人事なんでしょうねそういう人は。おそらくそういう人は例えば、最愛の人がそういう死に方をしたときに、言うんです。その人だったら話が違うと。例えば応援している、アイドルグループの人だったら言うんです。そこまで追い込まれたんだね。仕方ないって。要は、自分に関係あるか関係ないかで分類してるんですよ。関係ない人は勝手に死ね、身近な人はしょうがないって。これは、自己中ですよね。

せめて、なんでそうなったのか、くらい考えてあげてください。せざるを得なかったんですよ。したくて自殺する人なんていないですからね。

少なくとも、彼女の死によって少しの議論が生まれたことは、彼女の死の証明にもなって救いになったのかなとも感じました。

ご冥福をお祈りいたします。